なんで私は秋物思いに耽るのか

秋はよく物思いに耽るなんて言われるけど、というか今日バイト中に耽ってたんだけど、どうして耽ってしまうんだろうか。過去の事つい昨日の事楽しい事少し切ない事思いは色々あるんだけど、どうして秋なのか。
個人的な考えにあるのは、秋は普段使わない五感を使うからなんじゃないかなと。例えば目、情景ってのは容易に思い出せる。今は秋だけど春の桜は目に浮かべられるし、知り合いの顔だって思い浮かぶ。例えば耳、好きな人の声は簡単に思い浮かぶし、好きな曲はドラムパートまでしっかり土台を構えてる。
だけど例えば鼻、桃の香りは今は思い出せないし、昔住んでた家の臭いは嗅げばわかるのに今はわからない。例えば口、さっき食べたフレンチトーストの味はもう今は味わえないし、10年前に食べたカルボーンのあの味はもうこの先ずっと味わえないかも知れない。
これらの違いは要するに使用頻度の差だと思う。目と耳は塞げない、ずっと情報が入りっぱなしの状態。口は食事の時以外には使用することはあまり無い、鼻は塞げないけど、今の匂いを「臭い」と感じる事がない、つまり別の匂いを嗅がないと情報が変わらない。耳だって部屋にいればそうだけど、大抵の人間は一人の時間でも耳から音楽とかラジオとか、なんらかの情報を入れる。この差。それと関係があるかはわからないけど、映像と音はデジタルに変換出来る。0と1だけで保存する事が出来る。その為論理上色あせる事がない。味や臭いは、言うまでもない。
大分カーブを描いてるけど、戻ります。なんで私は秋物思いに耽るのか。それは目や耳など、記憶に残りやすいものでなく、鼻をよく使うからなんじゃないかなあと。私の場合は匂いなんだけど、秋だけ嗅げる特有の匂いって沢山あって、他の季節より「あ、この匂いは」って思う事が多い。そうすると何せその匂いを前に嗅いだのは一年以上前なわけで、脳はその匂いを触媒に、過去の時事を思い出す。匂いを思い出すんじゃなくて、その匂いを嗅いだ頃の他の五感を思い出す。それこそが物思いに耽る事に繋がってるんじゃないかなぁ。勿論それを言ったら他の季節だって思い出す事は多いけど、秋はそれらよりちょっとだけ、思い出す事が多いのかも。他人になったことがないからわからないけど、少なくとも私が物思いに耽る鍵になってるのは「匂い」、これは間違いないです。触媒が無ければ蘇らない五感を使っているからこそ、決して頻繁ではない過去を鑑みる機会を得るんじゃないでしょうか。